私になりたい

仕事も心も安定しない一人暮らしメンヘラアラサー

幸せな人は日記を書かない

2012年頃から手書きで日記を書いている
毎日死にたくて、誰にも言えなくて、感情を爆発させられるところが日記しかなかったので。

2014年頃の日記を読み返してて、私よく生きてたなと思う記述があった。
暈して書いてることもあるけど、キーワードを拾っていったら、稲妻が走るように、全部が繋がって、鮮明にまるで昨日のことのように思い出せた。
みっともなくて愚かな自分。
書くことによって昇華しようとしていた。
こんなこと誰にも話せやしない。
だから私はこれを忘れようと努めていて、実際に忘れていた。
あまりに痛すぎる傷で、忘れないとどうにかなってしまうと思ったのだろう。
忘れるという機能は、恐ろしかった感情に蓋をして次に進む為にあるのかもしれない。

日記を何故読み返そうと思ったのかと言うと、前の無職期間に何を考えてたのか知りたいと思ったのと、自分が前に所属していた、しかし全く思い出せない潰れた会社の名前がどこかに書いてないかと思ったから。

結果、私は今とあまり変わらないことを考えていたけど、若いからかやる気だけは満ち溢れていた。
ちゃんと目標も掲げていた。
会社の名前も判明したし、重い感情に引き摺られてしまったりもしたけど、2014年の私よありがとうという気持ち。
あの頃の私はこんなに傷ついても、自殺せずに頑張っていたのだと少し感動すらしてしまった。
過去に戻れるなら、2014年の私を抱き締めてあげたいと思う。
ちなみに2015年は夏まで楽しかったか、幸せだったみたいで、日記を書いていない。
あの夏から現在までまた日記は続いている。