私になりたい

仕事も心も安定しない一人暮らしメンヘラアラサー

だれかの絶望、ぼくの絶望

だれかのアドバイスを、そのまま受け入れられるほど素直ではなくなったし、綺麗な言葉だけを信じられるほどもう若くはない。
ただなにもしないまま歳をとってしまったことが、愚かだと思うばかりだ。


「私、好きなものを見てるのがつらいんです。好きすぎて、苦しくて、コンサートとか行けない。好きな人が輝いているのを見て、何もない自分はなんでこうなんだろうって思ってしまうんです。つらいんです。」

そんな言葉が雑貨店のカウンターから聞こえて、頭のなかでああ、同じだ、と震えながら共感した。
色々なしがらみにがんじがらめにされて、好きなものを楽しめなくって、自分のせいなのに勝手に傷付いて、好きなものも好きでいられなくて、きっと自分でいるのがつらいのだ。
その子は今時のアイドルみたいに若くて可愛い女の子だったけど、その話のせいで陳列されているファンシー雑貨がまるで閉園後の遊園地みたいに影を落として見えた。
邪険にされる弱音や真実は、加工アプリでお洒落で美しい、言い換えるなら当たり障りのないものになり、インターネットに隠されてしまった。
インスタ映えはカワイイに隠されただれかの叫びか、もしくは涙なのだ。
だから現実の痛々しい言葉が新鮮だった。
いくら時代が進化しようと、綺麗に見せようと、私たちは感情があって、醜いところもあるし、どうしようもなく人間なのだ。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他日記ブログ アラサー女性日記へ
にほんブログ村