私になりたい

仕事も心も安定しない一人暮らしメンヘラアラサー

崩れてくバランス

 

体調が悪い。まあ今年はずっと体調が良くないけど、物理的にも胃の調子が悪い。
胃がやられるとすべての気力を失う。
シャワーと洗濯だけぎりぎり出来ても、部屋は荒れてるし、過食だし、メンタルは安定しない。

会議で偉そうなこと言っておきながら、自分はこのざまである。
でも言えなかったこともあって、不甲斐なさも感じて悔しい。
強い自分じゃないといけないって呪いは、どこからきたんだろう。
弱さを認めて、自分を慰めてくれる存在を受け入れればよかった。
でもそれが、どうしても、弱い自分を認めることになるから嫌だった。


前までのやりかたが通じなくなってきている。
歳を取れば取るほど、生きづらさが重くのしかかってくる。
自分が変わらない限り。

1人で楽しく生きていけるようにならなければ、きっとこの先、本当の意味での幸せにはたどり着けない気がする。
いまはそれを覚えろ、学べ、掴め……と言われているんだ。
結局、昔挫折したことに向き合わなければずっと後悔する人生なんだな。

 

わたしには無理なのかもしれないけど。

いつかは、自死を選んでしまうのかもしれないけど。


とりあえず最近はTwitterよりかは知識としてマシかなと思い、アニメを見ている。
なにかに集中していないと、あたまに不安が流れてこんできて、侵食されてしまうからだ。
これが依存症なんだろうな。
胃にも食べ物を詰めて、脳に情報を詰めて、不安感が入ってこないようにしている。
原因を潰さないと、きっとだめなんだろうけど、それはすぐには出来ないから。
不安感に勝つには、自身の努力しかなくて、その努力が成果として実り、結果を出して初めてすこしだけ自分のことが好きになれる。 


何をしても楽しくないし、面白くもないし、生きていたくないし、今なんのために金を払っているのかもわからない。
わからないけど、死なないために、いつか上がるかもしれない気分のためになにかをするしかないんだ。

かけらを拾い集めながら 夢の終わりを待っていた

仕事だと、朝と夜しか出歩かないから世界がこんなに春になってたことに気付かなかった。
上着を変えなきゃいけない。

 

いつまで自己憐憫に浸ってるんだろ。
自分で決めたことで、あのとき、あれ以上の答えは出せなかった。
今でも間違ってなかったと言える。
それでも、どうしようもなく悲しい、世界が暗い、さみしい。

さみしいなんて、大人になったら誰にも言えるわけなくて、自分でその感情を処理出来るのが大人だと思っていた。
でも私はできないし、出来ないからここに書きなぐってる。
誰にも言えないことをここに書いている。
わたしがこんなに暗い人間なことを、周りは知らない。


真っ暗な世界を選んでいるのは自分で、不幸を選んでいるのも自分で、そういう生い立ちの人間が選択肢をずっと間違え続けるのも知っていて、それでも生きていかなきゃならないから、これを書いている。

 

やるせなさをなくすのに金がかかると書かれているのをみてその通りだなと思った。
推し活、グルメ、旅行、書籍、インスタ映えの写真、すべてがそうだ。それは本当に好きだと言えて、娯楽になっているのか。

 

このやるせなさに対して、いままでは仕方ない、興味ない、関係ないと気付かないふりをしていたのに、ひとに関わることによって、見ないふりが出来なくなってしまった。このやるせなさと苛立ちを、せめて何かに変えていかないといけないという強迫観念みたいなものが出来てしまった。

別に死ななくても

わたしのこころはもう死んじゃったんだな
と思う

何年も何年もやってきて、もうさすがに心が折れた
誰に助けてほしいでもない
ただ、こころが死んだまま生きてるのがつらい

 

やり方が悪いのかもしれないし、幼少期の傷やトラウマを治さないとだめなのかもしれないし、誰ともわかりあえないのかもしれないし、そもそもそんな幻想を抱いているのがおかしかったのかもしれないね


雪解けはくるって言われても、もうなにも信じることはできないし、前向きにはなれないし、仕事も面倒くさいことばかりで、救いがない

安易な依存で救われるような幼さももうない


わたしがわたしを救うことができない

黒猫のきみ

いつかの元彼とよく歩いた道を散歩した。小さい鳥居の前にいつもの黒い猫がいた。君は変わらずここにいるのね。わたしは、もう1人でしかここに来れないんだ。
1年が過ぎて、やっと完全に思い出に出来て社内で話しかけられても動じなくなった。一緒に歩いた道も、傷つくことなく、こんなところ歩いたなという気持ちでいれた。
だから、今回も1年経てば痛みはなくなる。逆を言えば、1年は痛みが続く。
こうまでして、少しの幸せと引き換えに、傷を負い痛みを味合わなきゃいけないのならば、恋愛って自分にとって必要なものなのかと考える。恋愛してるから人生がよりつらいのでは。もう誰かに認めてもらいたいという気持ちを潰していくほうが楽なのでは。まあ、そんな事ができるならだけど。


引っ越したいな。
結婚したらこの部屋を出ると思ってたけど、結婚は出来ないってもうわかってしまったから。
この狭い部屋に閉じ込められて、なにも出来ないのが嫌になってきた。
もう少し広い部屋で、好きな家具を置いて、好きなものだけ集めて、ソファに沈んで眠れるような。
わたしは、わたしの幸せを考えるべきなんだろうな。もっと人間的な生活がしたいと欲が出てきた。
知らないだれかとの幸せを諦めようと思った日に。


最近は頭に言葉が延々と溢れてくるので、ずっとそれを書き留めて、崩したり、組み直したりしてパズルみたいなことをしている。
でも文章を書くってずっとそれの繰り返しだな。

 

寂しさ

寂しさを感じない人間から「寂しい思いをさせてごめんね」と体を寄せられたときは違和感しかなく、この気持ちがわからないくせに謝って、わたしのなにがわかるの…、と冷めた目で遠くを見た。ああ、これは嫌悪感だった。

 

人に対して寂しさを感じることが正直ほとんどないと言われたときに、同じ人間でそんなことがあるのか、と得体のしれない生き物を知ったような気がした。
わたしの寂しさが深すぎるのもあるかもしれないけど。
この暗くて、重くて、寒くて死んでしまいそうなつらさを、きみとわかりあえることは決してないんだ、と悲しくなって、離れなければいけないと強く思った。

 

だから今回、ちゃんと言葉に出して寂しいと弱さを見せてくれる人が、前だったらちょっと気色悪さを感じていたのが「ああ、この人はちゃんと人間だな」と共感して安心するようになった。自分勝手なことだな。

 

相変わらず休日は眠っているし、自分で自分を大事に出来ていないと感じる。
今までだって失恋はしてきたし、ある程度慣れて大丈夫になったことも多いのに、ダメージが回復してくれない。
治ったように見えて、また傷口が開いて血が滲んでしまう。これの繰り返し。
回復出来ない呪いを受けたんだな、これは。
今年はたぶんずっとこんな感じだと思うから、美容や勉強を少し頑張って、解呪に努めることにする。

占いもそんなかんじのことが書いてあって、人の会えなささもあって、たぶんそうなんだろうと納得している。

 

 

夢の夢を見ている

 

現実が現実すぎて立っていられなくて
床に伏せ蹲ったまま顔を上げられないでいる

すべてが終わったわけではないのに
すべてが終わったようにしか感じられぬ日々

どうせ………

立ち上がってまた歩かなければならないのだ
それが生きるということなのだから
なにもならないと思っていた祈りが
救いになることを知る

祈りさえわたしを見捨てるのならば
また虚構の海で幻と沈む

すべての偽物は振り落とされるのに
幻だけは美しく魅せる
また絶望にわたしを落とすためで
ゆっくりと喉元を圧迫するから
ずっと夢の夢を見ている

 

 

悲嘆の5段階

失恋の悲しみのあとには必ず怒りがあって、そのあとどうでも良くなるな…と同じプロセスを踏んでることを考えた。
悲嘆の5段階というものがあるらしい。

否認
怒り
取引
抑うつ
受容


自分の場合は、否認→抑うつ→取引→怒り→受容な気がするので、ひとによって順番が違うのかもしれない。

信じられないなんで?という否認からの、深い悲しみの抑うつ、どうにかならないかという祈り(取引)、なんでこんなことに時間使ってるんだろうという怒り、もうどうでもいい自分の人生に関係ないし、の受容。(※自分の場合)

 

抑うつと取引はセットでしてることもあるから、今どこっていうとやっと怒りのフェーズに入ってきてるかも。


元彼というモノと友達になれるものなのか…?
ってしばらく考えてたけど、もう別に付き合ってる女性がいたとしたら、会ったとしても普通に腹立たしいし嫉妬するし、無理だなって思った。
復縁希望のひとたちは、まぁそういうのも我慢して一緒にいながら、相手の気持ちが変わるのを待つんだろうけど。
自分を振った相手にそこまで譲歩して我慢する必要ってなに?
好きだから?お前を振ったのに?

 

待たないで欲しいって言われて、ハァ?待つわけねーだろわたしの歳考えろって思ったし、元彼の気持ちが変わるとは思えなかったからな。

恋愛は片方の気持ちが無くなったらもう終了なので、納得いかなくても話ができなくても終わりでしかない。

そうなったらもう引くしかないんだ。
結婚できないってなったら、好きでも関係を続けたくても、それってもう恋愛の終わりだし、じゃあお前の恋愛の終着点どこなんだよとも思った。

わたしが振ったみたいになってるのも腹立たしいし。

 

とか言いつつも、友達はずっと友達でいられるのに、付き合ったひとはなんで別れなきゃいけなくて、もう会わないってことになるのか、なんかその常識自体が思い込みなのか、謎だよなとかも思ってしまったりする。

 

自分とはかなり違う考えを持つ人間と関わって、自分のなかの常識をかなり疑うようになった。

きっとそういうのを繰り返して、引き出しを沢山作って、自分というモノが完成されていくのかもね。