私になりたい

仕事も心も安定しない一人暮らしメンヘラアラサー

悲嘆の5段階

失恋の悲しみのあとには必ず怒りがあって、そのあとどうでも良くなるな…と同じプロセスを踏んでることを考えた。
悲嘆の5段階というものがあるらしい。

否認
怒り
取引
抑うつ
受容


自分の場合は、否認→抑うつ→取引→怒り→受容な気がするので、ひとによって順番が違うのかもしれない。

信じられないなんで?という否認からの、深い悲しみの抑うつ、どうにかならないかという祈り(取引)、なんでこんなことに時間使ってるんだろうという怒り、もうどうでもいい自分の人生に関係ないし、の受容。(※自分の場合)

 

抑うつと取引はセットでしてることもあるから、今どこっていうとやっと怒りのフェーズに入ってきてるかも。


元彼というモノと友達になれるものなのか…?
ってしばらく考えてたけど、もう別に付き合ってる女性がいたとしたら、会ったとしても普通に腹立たしいし嫉妬するし、無理だなって思った。
復縁希望のひとたちは、まぁそういうのも我慢して一緒にいながら、相手の気持ちが変わるのを待つんだろうけど。
自分を振った相手にそこまで譲歩して我慢する必要ってなに?
好きだから?お前を振ったのに?

 

待たないで欲しいって言われて、ハァ?待つわけねーだろわたしの歳考えろって思ったし、元彼の気持ちが変わるとは思えなかったからな。

恋愛は片方の気持ちが無くなったらもう終了なので、納得いかなくても話ができなくても終わりでしかない。

そうなったらもう引くしかないんだ。
結婚できないってなったら、好きでも関係を続けたくても、それってもう恋愛の終わりだし、じゃあお前の恋愛の終着点どこなんだよとも思った。

わたしが振ったみたいになってるのも腹立たしいし。

 

とか言いつつも、友達はずっと友達でいられるのに、付き合ったひとはなんで別れなきゃいけなくて、もう会わないってことになるのか、なんかその常識自体が思い込みなのか、謎だよなとかも思ってしまったりする。

 

自分とはかなり違う考えを持つ人間と関わって、自分のなかの常識をかなり疑うようになった。

きっとそういうのを繰り返して、引き出しを沢山作って、自分というモノが完成されていくのかもね。