私になりたい

仕事も心も安定しない一人暮らしメンヘラアラサー

祖母と私と銀の皿

山奥の老人ホームにいる祖母が、亡くなるかもしれないと家族から連絡が入った。
前回会いに行ったのはいつだっただろうか。
もう既に弱々しく小さくなってしまった祖母。
それでも、私に結婚はまだなの?と聞いてくる祖母。
もう次は来なくていいかな、と思った私。

終活というのだろうか、老人ホームに入る前に銀のお皿を形見分けと言って、わたしにくれた祖母。
価値を知って必要無いな、と捨てた私。

とにかく、私は自分の母親が嫌いで、母親を産んで育てた祖母に対してもあまり良い感情を持っていなかった。
小さい頃は、「おばあちゃん」を良くしてくれたと思う。
おうちに行けば美味しいごはんを作ってくれて............とまで書いて、あとは何をしてくれたか覚えていない。
でも、普通にやさしい品のあるおばあちゃんだった。
しかし、品があるからと言って子育てが上手かったわけではなく、祖母から私の母親というモンスターが産まれてしまったのは事実だ。

あまりに自分の母親がひどく、絶望していた頃、祖母にも「母親(あなたの娘)が嫌い」という話をした記憶がある。
祖母は私に謝り、「昔はあんな子じゃじゃなかったんだけどね....」と言うが、それでも自分が産んだ子供のことは可愛いのか最後には言葉を濁していたように思う。


....ここまで書いたけど、やはりあまり祖母との記憶がなく、書くことが見つからない。
よく考えたら祖母も、孫がくるから「おばあちゃん」の役割をしていただけで、決して孫を「愛していた」わけではないようだった。

まあ、孫を愛さなきゃいけないものでもないけれど。
もし、愛されていたのなら、私も貰ったものを捨てたりはしていなかったように思う。

自分でも自分の残酷さに驚いていて、今文章を書いていて、そうだったのかという気付きがあった。

当時は本当に、誰も私をちゃんと愛してくれる人がいなかったのだな。


だから祖母のことはずっと遠い人で、まるで他人事のように感じているのだ。



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